歴史

 

行田の足袋づくりは今から300年以上前(1716年頃)
から始まります。

当時3軒だった足袋屋は忍城下町において、
忍藩主松平家により足袋づくりを奨励していた
影響でその90年後には27軒にまで増えた。

その後、左書物の赤枠の部分に
「忍のさしたび名産なり」と記されるほど
全国的に有名になるのである。

足袋づくり奨励以外にも近隣の土地から
木綿を仕入れられたことや江戸(今の東京)
に通ずる中山道宿場町があったからである。

『東海木曽両道中懐宝図』行田市郷土博物館所蔵

 

藩主から足袋づくりを奨励をされ町人、武士、
武士の奥方、また中には身分を隠す為忍者が
足袋づくりを始めた。

『絵は町人が足袋づくりをする様子』

 

足袋は始めから2股の作りではなく、草履や
下駄に合わせ2股に分かれさせたという説と
武士が戦の際にもっと足を踏ん張れる様に
2股にさせたという2説がある。
木綿の足袋の前は鹿革の足袋が主流で丈夫で
火に強い為火消し(消防員)が常用していた。
明暦の大火(1657年)により革の値段が高騰し、
それに代わる木綿足袋が登場した。
上書物の中にある「さしたび」とは足袋の生地に
刺し子といわれる縫い目を付けて丈夫にしたもの。

 『砲術形状図式』行田市郷土博物館所蔵

 

江戸が終わり明治時代(1868~1912年)になると
開国による機械化と銀行による融資を基に益々
行田において足袋づくりが盛んになる。

『行田市 大沢商店』行田市郷土博物館所蔵

 

その後、大正(1912~1926年)になり昭和(1926年~)
に入り、
行田の足袋産業は益々盛んになった。

『足袋製造の様子』 行田市郷土博物館所蔵

 

昭和初期(1931年)には行田の足袋製造業者が
200軒以上になり、年間8,400万足以上の足袋
を作るまでに至った。
この頃(1929年)に後のきねや足袋創業者である
中澤政雪が当時珍しかったアイスクリームを売り
ながら足袋製造を始める。

 

中澤政雪が足袋製造を始め、その子供中澤武男が
引き継ぎ
1949年に中澤足袋有限会社を設立。

1965年には現足袋製造工場を設け、
翌年きねや足袋株式会社
に改名。

写真は熱海に社員旅行に行った時のもので、
当時200人以上
いた芸者に足袋を贈呈した事が
きっかけで全国にその名が広まった。

写真は1975年頃の現工場

1990年には武男の長男中澤憲二が社長に就任し、
1995年には第2の技術伝承としてベトナムにて
製造委託加工を開始。
当時日本から選ばれた熟練の職人が住み込みで
ベトナムのワーカーたちに 技術を直伝した。
今やハングリー精神、勤勉さ、純粋さはピカ一。

 

2006年には見学できる工場「足袋の館」を開館し、
2013年にランニング用足袋等新たな市場に挑戦。
2014年には憲二の長男中澤貴之が事業を継承
する。